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Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)  ――差別と抑圧の歴史、民衆の闘いの歴史

Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)
      ――差別と抑圧の歴史、民衆の闘いの歴史 其の三


44 1947年の外国人登録令を受けた、1952年4月28日の外国人登録法は、「外国人の登録を実施することによつて外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的とする」としたが、当時の在留外国人のほとんどが朝鮮人と中国人であり、これは朝鮮人を管理・弾圧するための法律であった。在留外国人の在留資格を不安定なものとし、日本に居住・生活する人間としての権利さえ認めない政策がとられた。

45 1965年6月22日、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓条約、日韓基本条約)」が締結された。これにより、日本による韓国併合のために大韓帝国との間で結ばれた諸条約が「もはや無効」(日本側)とされ、日本政府は大韓民国を朝鮮半島唯一の合法政府であると確認し、日本が韓国に経済援助を行うことで国交正常化を行った。韓国民衆も、日本民衆も、日韓条約反対運動を激しく繰り広げた。問題は数多いが、特に、第1に、朝鮮植民地化および植民地支配の歴史的検証がなされることなく、併合条約の評価も日韓双方に相違を残したままの条約であった。第2に、分断状態にあった朝鮮半島の一方の政府を唯一の合法政府とすることによって、分断を固定化させる役割を果たした。第3に、植民地支配の下での被害者個人への補償・救済が不十分に終わった。第4に、分断が在日朝鮮人社会に持ち込まれることが予想されたことなどである。

46 阪神教育闘争以後、在日朝鮮人は全国各地に朝鮮学校を設立して、自らの手で民族教育の権利を実現した。これに対して、日本政府は、植民地支配責任を一切取ることなく、それゆえ朝鮮学校に当然なすべき援助を一切行わなかった。それどころか、日本政府は朝鮮学校を管理・抑圧し続けた。1965年に文部省次官通達により、朝鮮学校差別政策を推進し続けた。さらに、1968年3月に外国人学校法案が国会上程され、朝鮮学校に対する差別と抑圧を目的としたが、朝鮮人のみならず在留外国人および日本人も加わっての大衆闘争によって、法案は何度も阻止され、1972年に外国人学校法案は廃案となった。他方、東京都小平市に朝鮮人が建設した朝鮮大学校の認可も政治闘争課題となったが、1968年、東京都はこれを認可した。

47 日本における「歴史教科書」問題は、非常に歪んだ政治問題として知られている。日本によるアジア諸国への「侵略」を「進出」と変更させた文部省検定以来、事あるごとに内外の政治問題となってきた。1990年代以後は、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」「沖縄集団死」などの記述をめぐって歴史修正主義とこれに抗する市民の対立が激化してきた。個別の論点だけでなく、歴史教科書における朝鮮半島に関する記述の全体が、日本を中心に、他者=朝鮮人を見下す視線で描かれているとの指摘もなされてきた。他方、国連人権理事会のドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」や、2010年3月11日の人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して、在日朝鮮人などの少数者が、日本社会において貢献してきた歴史的事実を記述するよう勧告した。

48 朝鮮学校に対して、日本政府は一切の援助を行っていない。地方自治体による助成金があるが、非常に僅少である。朝鮮学校に対する寄付金についても控除が認められていない。この点は、日本学校との差別だけではなく、外国人学校の中でも朝鮮学校に対してだけわざわざ差別が導入されている。JR各社(旧日本国有鉄道)は、文部省の要請のため、朝鮮学校生徒について通学定期券の発行を認めなかったが、広範な民衆の運動によって、1995年に通学定期券発行を認めた。朝鮮高級学校卒業生の国立大学受験資格差別も、1995年8月の国連人権委員会差別防止少数者保護小委員会(小委員会)にNGOから報告があったのを皮切りに、国連人権委員会や小委員会で繰り返し報告されるなど、内外の批判にさらされ、2003年8月11日の文部省による「弾力化」方針により、不十分ながら一応の解決を見た。2010年の高校無償化からの朝鮮学校除外問題に至るまで、つねに意図的に露骨な差別政策がとられてきた。

49 就職差別



50 1965年の日韓条約から25年後の1991年に、在日朝鮮人の在留資格を見直すこととされていたため、「1991年問題」を迎え、日本政府は、とりわけ人権侵害と批判に強かった指紋押捺の強制および外国人登録証常時携帯義務については一定の改正を施した。

51 1980年代後半から、日本による戦争と植民地支配による被害者たちの権利要求運動が始まった。1990年代には、戦後補償運動と呼ばれるようなさまざまな運動が広がり、日本政府に対して被害者への謝罪や補償の要求が突きつけられることになった。半世紀遅れの「正義の回復」要求であった。被害者は、強制連行・強制労働、軍人軍属、日本軍性奴隷制(従軍慰安婦)、七三一部隊・細菌戦、南京大虐殺、重慶爆撃、捕虜虐待・強制労働など実に多様な問題の被害者たちであった。終戦から半世紀を経て、高齢と病気に苦しむ被害者たちが人間の尊厳を求めて立ち上がった運動は、世界に大きな影響を与えた。1990年代における旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY)、ルワンダ国際刑事法廷(ICTR)、そして1998年7月に採択された国際刑事裁判所規程に基づいて2002年に設立された国際刑事裁判所(ICC)、さらには東ティモール、シエラレオネ、コソヴォ、カンボジアに関して設置された「国際化された法廷(混合法廷)」など、国際刑事司法は、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイドなどを重大な国際犯罪とした。世界各地における重大人権侵害の「不処罰の連鎖」を断ち切るための運動の先頭に、日本による戦争と植民地支配の被害者たちがいた。

52 重大人権侵害の犯行者を裁き、被害者に対する謝罪と補償を実現し、再発防止を求める世界的運動のなかでも、1990年代に飛躍的な発展が見られたのが、女性に対する暴力、とりわけ戦時性暴力問題である。ここでもアジア各地の日本軍性奴隷制被害女性の闘いが重要な役割を果たした。1993年12月10日、国連総会は「女性に対する暴力撤廃宣言」を採択した。1996年4月、国連人権委員会は、ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」による「日本軍性奴隷制問題報告書」を採択した。1998年8月、人権委員会差別防止少数者保護小委員会は、ゲイ・マクドゥーガル「戦時性暴力問題特別報告者」の報告書を採択した。これらの特別報告者は、日本軍性奴隷制に関する日本政府の法的責任を認定し、被害者への謝罪と補償を日本政府に対して勧告した。これらの勧告を実現する闘いの先頭を切ったのが、韓国、朝鮮、台湾、中国、フィリピンの被害女性(サバイバー)たちであった。2000年12月には、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が東京で開催され、1990年代から続いた戦後補償運動のピークとなったが、ここには約70名もの被害女性(サバイバー)が集まった。

53 日本社会における朝鮮人差別の被害者や現象形態も時代とともに変化してきたが、「チマ・チョゴリ事件」は、日本社会の特質を如実に示すものとして、国連人権委員会、人権小委員会などに報告されるとともに、世界のメディアにも取り上げられた。1989年、日本国会において「パチンコ疑惑」騒動が起きると、朝鮮学校に通う女子生徒に対する差別・暴言・暴力事件が各地で頻発した。1994年、「北朝鮮核疑惑」問題に伴って、同様に各地でチマ・チョゴリを斬る事件が頻発した。この頃から「チマ・チョゴリ事件」と呼ばれるようになった。1998年の「テポドン騒動」、2002年の「拉致問題」、2006年以後の「人工衛星・ミサイル」発射や「核実験」問題に際しても、朝鮮学校に対する脅迫電話、無言電話が続き、女子生徒に対する暴言・暴力事件が相次いだ。これは社会における差別と犯罪であるが、犯行者が男女年齢を問わなくなってきたと指摘されている。被害者は朝鮮高級学校生徒のみならず、朝鮮初級学校(小学校)の年少生徒にも及んでいる。加えて、犯行が路上、電車の駅構内など公開の場で行われているにもかかわらず、犯行者がほとんど逮捕されないことも、人種差別撤廃委員会や子どもの権利委員会に報告されてきた。社会における差別を日本政府が放置している好事例である。

54 在日朝鮮人差別には、さまざまな現象形態があり、被害者も一様ではない。朝鮮総連、朝鮮学校が標的とされることが多いが、「嫌韓流」に見られるように韓国も差別対象とされてきた。また、日本社会には、本名を名乗らず「通名(日本名)」を名乗って暮らしている朝鮮人もいる。朝鮮人であることがわかると露骨な差別にさらされるために、本名を隠して生きざるを得ない状態そのものが構造的差別の証である。

55 2002年9月17日、日朝間で締結された「平壌宣言」は、歴史認識について日韓条約よりも一歩踏み込んだと評価される面もあるが、国家間の経済協力方式を採用し、被害者への個人補償を否定している趣旨と見られ、戦後補償運動からは批判がなされている。他方、朝鮮政府が日本人拉致問題を認めたことから、日本社会の感情的反発が激化し、財に朝鮮人に対する差別と犯罪を誘発するとともに、「制裁」によりヒト、カネ、モノの遮断が行われ、朝鮮人団体関係者に対する弾圧捜査、政治問題化とマスコミ過熱報道により排外主義があおられている。現在の高校無償化からの朝鮮学校除外問題もその延長上にある。

56 在日朝鮮人の人権擁護運動は、民族団体の組織、民族教育の形成・確立、自由と平等を求める差別撤廃運動など、在日朝鮮人自身が立ち上がることによって多彩に取り組まれてきた。日本社会においても、日韓連帯、日朝連帯の運動とともに朝鮮人の人権擁護のための取組みが続き、戦後補償運動などとともに、思想的にも実践的にも大きな成果をあげ、日本社会に少なからぬ影響を与えてきた。

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別其の一

宣言・Ⅳ 韓国併合と差別其の二


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by e-asia-hhpa | 2009-06-09 15:43