東アジア歴史・人権・平和宣言行動計画・事務局運営


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Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)其の四

Ⅳ 韓国併合100年における植民地主義と差別(第一次案)其の四
      ――差別と抑圧の歴史、民衆の闘いの歴史


A 差別の現在

65 いまも続く朝鮮人差別

韓国併合100年に当たる2010年に際して、韓国併合による植民地支配の反省を訴える日本の市民によるさまざまなアピール、集会、学習会の取組みがなされていることを歓迎する。しかし、同時に、日本政府による朝鮮人差別がいまなお続き、日本社会における心ない差別と排外主義が噴出していることを指摘せざるをえない。

66 高校無償化除外問題

2010年4月、日本政府は高校無償化を導入したが、朝鮮学校への適用を見送り、朝鮮学校の教育課程を確認するという名目で第三者委員会なるものを設置したという。背景には、2010年2月の大臣発言に始まった政治問題化があり、政治問題を教育現場に持ち込む差別的処遇がなされている。2010年2月24日、人種差別撤廃委員会において差別への懸念が語られた。3月11日、同委員会は、同様に朝鮮学校排除と政治問題化を差別的な影響をもたらすものと指摘し、差別の是正を勧告した。さらに2010年5月28日、子どもの権利委員会においても同様の指摘がなされた。それにもかかわらず、日本政府は差別政策を取り続けている。

67 大学受験資格差別

朝鮮学校に対する差別政策は、一貫して長期的に採用されてきた。朝鮮高級学校卒業生の大学受験資格問題では、文部科学省がしつように朝鮮学校排除を推進してきた。多くの私立大学においては、「高等学校に準じる」規定の適用によって受験を認めてきたのに対して、文部科学省はこれを否定し、とりわけ国立大学には受験させないように規制してきた。今日では国立大学も朝鮮学校卒業生の受験資格を実質的に認めているが、必ずしも文部科学省の差別政策が変化したわけではない。

68 税制差別

人種差別撤廃委員会の日本政府に対する勧告でも言及されているように、助成金や免税措置についても、朝鮮学校に対する差別が続いている。中央政府による助成金は終始一貫して皆無である。一部の地方自治体による助成金があるが、金額は僅かである。朝鮮学校への寄付金についての控除(免税措置)が認められていない。アメリカン・スクールなど外国人学校にも認められているのに、朝鮮学校だけを排除している。

69 朝鮮学校とその他の外国人学校

日本政府による差別は、1948年の阪神教育闘争、1965年の文部次官通達、1968年以後の外国人学校法案問題、1994年に解決したJR通学定期券差別、看護士資格差別など、現象形態は時期によりさまざまに変化してきたが、一貫して続いている。近年の重要な変化は、かつては朝鮮学校を含む外国人学校と日本学校との間の差別であったが、最近では、朝鮮学校とその他の外国人学校の間にも差別を設けて、朝鮮学校だけを徹底的に差別する方針が貫かれていることである。

70 日本学校における民族教育の否定

日本政府は朝鮮学校を差別して、朝鮮人を日本学校に通わせるように誘導しながら、1965年の文部次官通達により、日本学校における朝鮮人の民族教育を否定した。朝鮮人を日本人化する同化政策であり、植民地主義の延長にある。

71 新在留管理制度

日本政府による朝鮮人差別の根幹には、在留資格問題と出入国管理問題があった。ここでも近年、変化が見られる。それは、差別政策の動因がもっぱら朝鮮人差別と管理であった時代と異なり、最近では新たな移住者に対する差別と管理が前面に出てきていることである。永住者とそれ以外の外国人との間の差別がたくみに設けられている。2009年の新在留管理制度関連法も、外国人の管理と選別を目的としている。現在も、韓国籍でない者に対して再入国許可免除を認めず、みなし再入国許可を発布しない。新法においても「友好な旅券」規定があるため、国交のない朝鮮の旅券を認めない方針が続いている。同様に国交のない台湾やパレスチナとも異なる取り扱いをしている。

72 国民年金差別

国民年金差別も日本政府によって一貫して採用されている。かつては外国人全体を年金制度から排除していた。1982年改正により、朝鮮人も年金制度の適用を受けるようになったが、必要な経過措置が採られなかったことにより、朝鮮人高齢者と障害者について差別が産み出されることになった。もっとも必要な人に対する年金が消されてしまった。2008年10月の「市民的政治的権利に関する国際規約」に基づく自由権規約委員会による是正勧告にもかかわらず、日本政府は差別政策を改めようとしない。

73 公的施設使用拒否

東京都による日比谷公会堂使用拒否に見られるように、朝鮮人の公的施設使用に対する拒否が行われている。同時に民間施設においても、朝鮮人に対する使用拒否、使用許可の取り消しが行われることがある。東京都による使用拒否は、裁判所による救済があったので、日本政府が差別を行ったわけではないが、日本政府によるさまざまな差別に便乗・同調して、地方政府が朝鮮人差別を露骨に行った事例である。それが民間施設に対しても負の影響を及ぼしている。金剛山歌劇団の文化公演に対する妨害も行われている。

74 社会における差別

日本社会における差別も枚挙に暇がないが、今日、注目しなければならないのは、新たな排外主義と差別の煽動の顕在化である。社会の底流に存在してきたさまざまな陰湿な差別とは別に、朝鮮人組織、朝鮮学校などに押しかけて暴力行為や差別発言を繰り返す、ヘイト・クライム(憎悪犯罪)がはびこっている。中国人やその他のアジア系外国人に対しても暴力、恫喝、嫌がらせが続いている。

75 ヘイト・クライム(1)

2009年12月4日、在日特権を許さない市民の会(在特会)と称するヘイト・クライム集団が、京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、同校がグランドとして使用していた公園で騒ぎ、器物損壊、差別、名誉毀損、侮辱の言説を撒き散らし、強要、恫喝を繰り返した。日本の市民による在特会に対する抗議行動も広範に取り組まれているが、警察は在特会を取り締まることなく、その後も犯罪的行為が継続している。2010年2月14日および3月28日にも、在特会などは京都朝鮮第一初級学校に向けての排外主義のデモ行進を行った。

76 ヘイト・クライム(2)

2009年11月、在特会は、東京都小平市の朝鮮大学校にも押しかけ、同校正門前で朝鮮人差別の煽動行動を繰り返した。同様に、在特会は、東京、福岡など各地にある在日本大韓民国民団本部や支部に押しかけ、誹謗中傷を繰り返してきた。名古屋市立博物館における歴史展示を妨害し、京都府のウトロ地区や大阪市の生野地区など朝鮮人集住地域において排外主義デモを行い、民族差別の言辞を撒き散らしてきた。在特会は、埼玉県蕨市においてフィリピン人家族に対する排外主義デモを行ったのを手始めに、東京秋葉原でも排外主義デモを行い、東京池袋における中国人商店に対しても営業妨害行為を行うなど、朝鮮人、中国人、その他の外国人に対する差別行為を続けている。

77 ヘイト・クライム(3)

在特会に代表される排外主義と差別の隆盛については、日本経済の落ち込みと不況による失業や労働の不安定化、不安定雇用の底辺に置かれた若者の不安とストレス、経済大国から脱落しつつある日本の現状への不安とこれに呼応したナショナリズムなど、さまざまな要因が指摘されている。同時に、1990年代に本格化した、日本軍性奴隷制問題を典型とする戦後補償要求運動(日本による侵略戦争や植民地支配に関連する被害者個人への補償要求運動)への政治的反動、感情的反発に由来する歴史の歪曲、歴史教科書問題などに関連するイデオロギー的逆流現象があったことも忘れてはならない。

78 愛国心と嫌韓流

1990年代における「従軍慰安婦論争」「南京大虐殺論争」「歴史教科書論争」は、日本の侵略戦争や植民地支配の責任を逃れ、そのために侵略戦争や植民地支配を美化し、事実を歪曲・隠蔽し、被害者を侮辱し中傷する政治傾向を生み出した。テレビ・映画・音楽などの文化的分野における「韓流」ブームにもかかわらず、政治的には「嫌韓流」が意図的に作り出され、日本の歴史と伝統の誇りを呼号する「愛国心」が叫ばれるようになった。

79 「反日」攻撃

その結果として、「愛国心」に反すると見做されたすべての人々や出来事を「反日」と断罪し、激しい攻撃が加えられるようになった。朝鮮人、中国人、アジアやラテン・アメリカからの移住者、難民認定申請者に対する排外主義と差別は、在日朝鮮人の人権、戦後補償運動、移住者の権利、難民認定申請者への支援運動を行っている日本人に対しても、激しい敵意をむき出しにした攻撃を続けている。東京都三鷹市における「慰安婦」展、兵庫県宝塚市や西宮市における「従軍慰安婦」問題の解決を求めるアピール行動に対する妨害行為がその代表である。こうした差別と排外主義に反対して立ち上がった市民に対しても、2009年12月19日、東京都飯田橋で開催された集会や、2010年3月28日、京都市河原町で行われたデモ行進などに対して、在特会は実力行使による妨害行為を続けている。気に入らないものには「反日」というレッテルを貼り付けて、攻撃を続けている。

80 社会的差別

他方、不動産業者および地主による、朝鮮人を始めとする外国人に対する賃貸ビル・アパート・マンション入居差別が、長期にわたって報告されてきた。社会的差別も、時期によりさまざまな現象形態となって現れる。高等学校体育連盟によるスポーツ大会への朝鮮学校参加、JRによる朝鮮学校生徒の通学定期券除外問題などは1990年代に解決したが、クレジット・カード入会、ゴルフ場会員権などにも差別が発覚することがある。銭湯における入浴禁止、公共プールにおける利用禁止、一般商店における入店禁止など、各地で異質な他者に対する敬遠・偏見に由来する行為が報告されている。

81 国家による差別と社会的差別

現在の日本国家による差別と日本社会における差別は、それぞれ無関係の別個のものではなく、相互に支えあって構造的差別を形成している。国家による差別が、社会における差別と不寛容に根拠を与えている。政府が公然と差別をしている社会では、一般の人々にも差別が許されているというメッセージが常に発せられている。政府の言明とマスメディアの伝達により、差別がいっそう強化されている。社会におけるさまざまな差別現象は、政府が日本国憲法と国際人権諸条約に基づいて適切に対処しなければならないが、日本政府は、それどころか社会的差別を温存することにより、政府の怠慢を弁解している。社会的差別が国家による差別の正当化、無視、隠蔽を支えている。

B 差別の歴史的原因

82 差別と日本近現代史

現在の日本国家による差別と日本社会における差別の原因と形態は、差別の現代日本的形態を的確に理解し、被害者の状況を把握するためには、近現代日本史の総体的分析を必要とする。

83 植民地主義の考察

東アジアにおける人種差別等の被害者を明らかにするという、本宣言に必要な限りで考察する場合にも、近代日本による植民地主義の歴史が中軸にすえられる必要がある。近代日本における植民地主義は、少なくとも、第1に、台湾や朝鮮半島に対する侵略戦争(植民地化戦争)、第2に、植民地化した地域における植民地政策、そして最後に脱植民地過程(とりわけ植民地責任の未清算)の3つの局面にわたって検討される必要がある。

84 「朝鮮人」という言葉

本宣言において用いられている「朝鮮人」という言葉そのものが、このような日本の植民地主義の変遷過程によってさまざまに刻印され、多義的で、かつ論争的な言葉となってきたことを指摘しておかなければならない。在日朝鮮人、在日韓国人、在日朝鮮・韓国人、在日コリアンなどさまざまな呼称が用いられ、時に激しい論争を必要とすることになったこの言葉は、日本による植民地化戦争、植民地政策そして脱植民地過程を通じて、変容してきた歴史的諸関係を反映している。本宣言では、「在日朝鮮人」を、朝鮮半島出身者およびその子孫を指す言葉として用いるが、これらの言葉をめぐる定義問題に立ち入らない。

85 朝鮮植民地化

日本による朝鮮植民地化は、豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争や、江戸時代におけるさまざまな朝鮮侵略思想といった底流を持つが、近代における植民地化は、屯田兵によるアイヌモシリ(蝦夷=北海道)日本編入、小笠原諸島の日本編入、琉球処分に始まる沖縄県設置と続いた「国内植民地」の時期を経て、台湾および朝鮮半島に触手を伸ばす対外的進出として具体化した。「日清戦争」が終結した後、大日本帝国は、1895年10月、ロシアの影響排除を目的として朝鮮政府の権力構造に実力で介入し、朝鮮王宮に進攻し朝鮮政府軍、官僚、女官、王后を虐殺した。現場首謀者はソウルにおける外交の最高責任者、領事・三浦梧桜以下であり、日本軍と連携をとり景福宮に侵入した。これらの行為に対して日本政府による真相究明はいまだ取組まれていない。

86 義兵闘争

乙未事変(ウルミサピョン)と朝鮮政府内での前年からの甲午改革(カポケピョク)による近代的改革の推進に対し、朝鮮民衆は義兵闘争を起こした。

87 乙巳保護条約

1904年、ロシアと日本の緊張が高まり、「日露戦争」を開始し、1897年に国号を変えていた大韓帝国に対して、軍事力を背景に「議定書」、「日韓協約」を強制締結させた。1905年、日露戦争の収束後、日本は一方的な「乙巳保護条約」と言われる「保護条約」を「特派大使」として乗り込んだ伊藤博文が大韓帝国皇帝・高宗(コジョン)を威嚇し、武力示威を後ろ盾に調印を強要した。これらの強制的な「保護条約」により、日本による強制占領が開始された。これに対して、1907年、高宗はオランダ・ハーグで開催された第二回万国平和会議に秘かに特使を派遣し、乙巳条約の不法と強要、侵略を世界に広く知らせようとした。しかし、日本は天皇陸仁の名のもと高宗皇帝を息子に強制譲位させ、軍隊を解散させ、内政権を掌握する協約締結を強要し占領政策を強化した。朝鮮民衆は義兵の決起を続け、軍人の抗日闘争が起きソウル市内で日本軍と市街戦になり、軍人は義兵部隊に合流した。義兵戦争が拡大し、抗日戦争となった。義兵の戦死者2万人、民衆へのジェノサイド数万人ともいわれる日本軍の暴力支配の究明が求められる。「日清戦争」「日露戦争」とは、日本側の呼び名にもかかわらず、朝鮮植民地化のための侵略戦争であった。

88 安重根と大逆事件

1909年10月26日、安重根(アン・ジュングン)はハルビン駅構内で伊藤博文・朝鮮統監府前統監を射殺した。日本外務省管轄下にある関東都督府地方法院における審理で、安重根は、侵略者・伊藤博文の罪を予審訊問や法廷で述べ「国土と民衆」を蹂躙したこと、韓国と東洋の平和が侵害されている現実とその責任を挙げ「東洋平和論」を述べた。しかし、1910年3月26日、殺人の罪で処刑された。同じ1910年、日本では天皇殺害計画があったとして社会主義者たちを壊滅させる大弾圧として大逆事件が「発覚」した。幸徳秋水ら12人が処刑された大逆事件の弾圧と、韓国強制併合は同時進行であった。

89 強制併合条約

1910年8月22日、日本はソウルにおいて、日本軍の圧力の下に、大韓帝国に併合条約を強制締結させた。

90 植民地支配と抵抗の継続

日本による朝鮮総督府は三権を掌握し、憲兵・警察を駆使した暴力支配で日本への同化主義を採用し、朝鮮人による新聞・雑誌発行を制限し、宗教以外の自主的社会活動を認めず、占領、植民地支配を徹底した。これに対して、朝鮮人民は、抗日独立運動の闘いを継続した。
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by e-asia-hhpa | 2009-06-06 19:05